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2014年07月

追加資料が揃い来月、国に再提出する

無事に腎結石の破砕を終え自宅に戻りました。
今回は左の腎臓に5000発衝撃波を打ち込まれ、鮮血の
血尿が夜まで続くと言う結構ハードな物でした。
しかし、まだ右腎に結石があるので近いうちにまた治療予定。

さて、前回追加資料のなかで消化器外科の分が足りなかったわけで
それがやっと出来上がり、本日弁護士先生のもとに行ってきました。

これで必要書類が整い、来月提出するとのこと。
実は今回もう一点用意しないといけない書類がありました。
それは、私が出生した病院のカルテ。
そんな昔のカルテある訳がない!!
私は今年47歳。もう47年も前のカルテを国は要求してくる。
はっきり言って国はアホとしか言いようがない。
そんなに和解金、払いたくないのか!!
とてもはらだたしい。
ただ振り回されているだけである。
私の場合、出生した病院の名前をもう忘れてしまったため、なんとなくの名前
を覚えているだけで、その病院も現在存在するか判らない。
こういった方の為に、弁護団には対策が出来ている。
弁護士先生のほうで、国に対して、もう出生した病院が存在しない可能性
があるので、逆に国に調査以来する文書作成をする。
勿論、出生した病院が存在するならば、カルテが存在しない証明をその病院
で貰えばよい。
私の場合、存在自体というより病院名が不明確なので、文書作成で進める
事に。
これで問題が無く、早ければ3か月ぐらいで和解手続きとなるようだ。
しかし、出生場所の調査が国がどの位時間かかるのか、弁護士先生も判らない
ようで、もっと時間が掛かるかもしれないと。
そして、やっぱり国はなにを言ってくるかわからないので、最後まで気は抜けない。

先月、造影エコーを行ったのだが、その結果は今の所落ち着いている。
しかし境界病変が幾つかあるので、いつそれが癌化するかわからないそうだ。
そして、気になるものが一つ。
昨年、内視鏡で食道静脈瘤の小さいものがあった。
その検査を来月行う。大きくなってなければ良いが。
心配事がとても絶えない。
こういった苦しみを国はわかっているのだろうか?
集団的自衛権や武器輸出など、違った方向に舵を取り始めた日本。
そして、物価が上がり、給料が上がらないスタグフレーションの兆しがあると
民間の研究機関が示している。これは国民にデフレより痛手を負わせる非常に
危険な状態となる。
世のマスコミ報道は大手企業のよい報道しかしていないが日本全体で7%も収入
が下がっているのである。
そして、怖い事に物価上昇は3%を超えて、当初目標の2%をはるかに超えている。
「もっとやるべきことが他にあるのに」と思う次第である。


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追加資料の提出をしたが・・。

明日から1泊2日で破砕手術で入院となるが、その前に今日
追加資料が揃ったので弁護士の所に行く事に。

早速内容をチェックする。
全て言われた通りに資料を揃えたのだが、1点追加をしてほしいと言われて
しまった。
それは大学病院で、昨年消化器外科に開腹手術を検討する為、入院していた。
そのカルテも欲しいと。
B型肝炎の資料なので、内科だけで良いかな と私が勝手に解釈してしまった
ためのミスであった。
B型肝炎から癌になったのだから、それは必要になるのはよく考えれば
当たり前の話である。
しょうがないので、また大学病院に手続きに行く事に。
今月中に資料用意できるとのこと。
2度手間である。

これらの資料で何とか終わりになれば良いが と弁護士の先生が話してくれた
のだが、それでも国は何を言ってくるかわからないので、その時はしっかり
対処していきますと。

もうちょっとかかりそうな気配。

亡くなった母の為にも。そして今の家族の為にも何とか頑張らねば。

明日は、入院でESWL(体外衝撃波破砕術)を受けないといけないので
今は治療の事に専念しようと考える事に。

腎結石の破砕をする事に

先日診察があったのだが、前から腎機能が低下している理由の
一つに、腎結石が私にはある。
レントゲンで腎臓を見ると、右には無いのだが、左に数えると大小
含めて、20個ほど腎臓に結石があった。
4か月前くらいより、無数にあるのがわかっていたのだが、まだ小さく
実態が判らなかったのだが、今回、大きいもので11mm程に成長
していたので、破砕する事になった。
ESWL(体外衝撃波腎尿管結石破砕術)という手術。
これまでに、平成22年から6回この手術を受けているが、その痛みは
結構半端ない。
ESWLを受ける病院は、肝臓でお世話になっている大学病院ではなく
総合病院。そちらのほうが、ESWLの機械が新しいのだ。
何回もやっているので、要領がわかるのだが、それ故にとても気が重い。
衝撃波の出るベットに寝て、麻酔ではなく、痛み止めを使いながら破砕
していくのだが、私の場合数が多いので1時間近く衝撃波を受け続ける。
痛みをあまり感じない人もいるようだが、私の場合、投与Maxまで痛み止めを
使う。なので、手術が終わった後は、自力で歩くことは出来ない。
車いすでの移動となるが、ベットに着くと夜までフラフラである。
衝撃波を受けた皮膚は赤くなる程度だが、尿をすると真っ赤な尿が4回ほど
でる。そして何かの組織も一緒に尿と排出される。
結構エグイ手術だ。
1週間ほど抗生剤を処方されるのだが、入院は今は1泊2日である。
しかし自宅に帰っても、体力が回復するのには1週間ほどかかる。

今回大学の先生が「今落ち着いているので、破砕をするなら今の内に」という事で
手術を受ける事にした。

こうも体に色んな病気があると、もう何のために生きているのか
判らなくなる時もある。
しかし、一つ一つ治療を進めていかないと普段何もしなくても体が辛いので
致し方が無い。

今回も7月23日から1泊2日予定での入院。
生命保険に19歳の時に親からの強制では入ったのだが、当時は自分の給料の
手取りが少なくなり、非常に嫌でしょうがなかったが、今は親に感謝である。
保険がなく、今の状態の生活では間違いなく手術なんて受けられない。
いくら高額医療請求しても81000円かかるのだから。
つくづく、私は病院にとって良いリピーターである。




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RFAの治療が終わって

RFAの治療が終わり、ベットでの安静をする事3時間。
しかし、当然3時間も治療後眠ってるはずもない。
1時間ちょっとで目を覚ます。
しかし、体を動かすことは許されない。
まだ2時間近く、じっとしていないといけない。
これが非常に辛い。痛みは鈍痛が右肋骨の下にある。
痛み止めを使うほどではない。
治療中、針を刺して焼いているときに右側肋骨の辺りが
熱くなり焼いているのがよくわかったのだが、やはり刺した
のと、焼いたおかげで、鈍痛があるのだろう。
30分ごとに看護師がバイタルチェックにやってくる。
体を動かしたいので、看護師にどの程度なら動いても良いか
尋ねるが、腕と首だけなら良いとしか言ってもらえなかった。
まあ、腹に太い針を刺し、そこが血液を沢山蓄えている肝臓
なのだからしょうがないが。
何とか、3時間の安静が終わり、ベットから立ち上がる事に。
しかし、体が思うように動かない。
たかが針を刺しただけなのに。
看護師に助けられながら、ベットにまず座る。
そこで一息。
足を床に着け立ち上がる。少しクラクラするが、すぐに安定。
ゆっくり歩く。
治療前は普通に走る事だって出来たに。たかかが数時間で
この変わりよう。人間は意外に内臓に少しでもキズが入ると
弱いものだと感じた。
病棟内を看護師とまず一周。
少し休んで、また歩く。
これが開腹手術だったらえらい騒ぎだな と思いながら体を
通常の状態まで、戻す努力である。

次の日CT検査。
造影剤が腎機能が悪いので使えないので、普通に撮影。
暫くすると、医師に呼ばれた。
相談室なるところで、さっき撮ったCTの画像説明を受ける。
写真を見ると。素人でもわかる位、丸く黒い部分があった。
「今回の治療は上手く行きました。しかしまだ他に境界病変と
考えられる場所がいくつかあるので、注意して見ていきましょう」
と。まあ、今回の目的は上手く果たせたので良かった。
しかし、まだ戦いは続くのである。
いつ再発するのかわからない、その恐怖と戦いながら。



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B型肝炎訴訟の追加資料請求

B型肝炎訴訟をするにあたり追加資料を求められ用意する事になった。
その資料は、前回の弁護士先生の打ち合わせで教えて頂いた。
依頼されたもの。
①母の小学一年生の通知表→なければ通学していた小学校に在籍
していた照明を小学校に依頼する。〈卒業証明書でもよい但し6か年の
過程を修了と記載してあること。)
②母が一番最初に受診したクリニックでのカルテが保存していない証明
(昭和63年3月1日~同8月10日までの分)
③平成25年4月26日の自分のカルテ
④平成25年7月17日~同10月4日までの大学病院の自分のカルテ
⑤最初に私が診てもらった病院のカルテが保存していない証明。
(昭和63年3月~同11月)


今回これらの資料請求の中で、ちょっと厳しそうなものが結構速く揃った。
③と④は最近の事なのでこれは問題なく請求できた。大学病院だけは
3週間かかると言われちょっと時間が掛かる。
②に関しては町医者なので、これもその場で書いてくれた。
⑤は総合病院で、これが今私の住んでいる所から50Kmほど離れた場所
なので、まず電話にて問い合わせる事にした。
総合病院はその町では結構大きい病院である。
電話をし、訴訟の為に以前カルテを欲しいと伝えたが、古いのですでに用意
出来ないと言われたので、その無い証明を欲しいと伝えた。
すると、なにか様式はあるのか、又は手本となるものがあるのか といった
事を言われた。しかしそのような物は存在しないので、病院で作ってほしい
と伝えると、少し電話を待たされた。
待つこと1,2分で、担当がまた電話口に出て「料金が発生するかもしれないので
上の物に相談して、後日電話連します。証明書は作る事が出来ます」と。
こちらとしては、証明書が出してもらえるのなら、料金発生など問題ないので
2つ返事で答えた。
5日ほどで病院から電話連絡があり、料金は発生しないと。その理由は病院
で保管している資料の提供ではないので。 ということらしい。
そして難関と考えられているのが、①の母の通知表か卒業証明書である。
通知表は、ある訳がないので母が通っていた小学校に問い合わせて見る
事にした。
しかし、母は昭和30年に卒業しており、そんな昔にその小学校に通っていた
事を証明する事をまず考えないといけないと考えた。
私の両親は比較的几帳面なので、きっと何処かに同窓会名簿とか、母の
幼馴染みの方の連絡先が無いか、私の父と探すことにした。
すると、私の母が亡くなった後に、同窓会の開催のお知らせのプリントが
残っていた。父が、母のもとに未だに来る事がある手紙をとってあったのである。
すぐに、電話でアポを取って、日時を決め行く事にした。
担当してくれたのは、教頭先生だった。小学校に在籍していた証拠となるものは
20年までとなっているようで、私の母の物は残っていないと。
やはり一筋縄でいきそうにない。
しかしこちらには、同窓会のプリントがある。
それを教頭先生に見せると、直ぐに快諾してくれた。
翌日には完成すると。
私は非常に嬉しかった。これで全ての資料が用意可能となったわけだ。

私の場合は基本的な資料ばかりなので、いがいと簡単だったのかもしれない。
もしこれが、時効がらみの証明となると、病気発症の正確な日付を証明しないと
いけないので、大変である。
私の母は他界し、そして私は癌になったことで、時効が無くなった。どちらも
非常に悲しい事であるが、訴訟に関しては有利に働いたわけだ。
しかし、国と言うものはなんでこんなに理不尽な事ばかり言うのであろう。
国は責任を認めたのに、その責任を果たそうと努力していない。
私を含め沢山の方たちが、肝炎、肝硬変そして癌に苦しんでいる。
これらの病気治療を安心して受けられることにならなければ、意味はなさない。
肝臓の血液検査は毎月行っているが、私の場合検査だけで6000円ほどかかる。
国はもっと苦しんでいる人達の事を理解し、正当な被害回復をすべきである。
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